銀魂 第519訓:仇'14.11.22. [銀魂]
ジャンプは時々土曜日に出るから気をつけろ!な土曜日でございます。・・・長かった・・・色々悶絶してたので、本当に大変でございました。・・・しかし本編はもっと色々大変なことになってるので、12月おばさん生きて行けるのかな・・・という状態でございます。
「俺達を止められるのは、もう俺達しかいねェんだよ。
気にくわねェなら
曲げらんねェなら
てめェのゲンコツで止めるしかねェんだァ!!」
とゲンコツで高杉を殴り飛ばします。吹っ飛ぶ高杉。
「・・・高杉、いつまでその潰れた左目で
瞼の裏を見てやがる」
ここのコマでは高杉目線で左に松陽先生(過去)、右に銀さん(現実)ということなんでしょうね。
「その残った右目ひんむいてよく見やがれ
てめェがゲンコツ振るわなきゃいけねェ奴ぁ、今ここにいんだろ!!」
これって、後で判ることだけど銀さんもずっと罪の意識に囚われてたんだろうし、死にたかったのかな・・・と。
まあ死神編があって、朝右衛門ちゃんに出会い、かぶき町に流れ着いて色んな出会いがあって鬼(白夜叉)から人(万事屋)へ変わることが出来たからこそ、今回逃げずに高杉と向き合うことが出来たのかなーと。
それがこの殺し合いまがいの殴り合いなんだろうけども・・・。
「俺は・・俺の閉じたこの左目は
あの頃映した、憧憬も、絆も、志も
そして、憎しみも」
はい、ここの過去シーンでございます。気になるのはそこに描かれてるシーンでございますわね。
絆も・・のところの3人に注目でございます。
傷だらけでボロボロの銀さんと高杉はじとっとお互いを見てる中、ヅラだけは涙目で俯いてますわね。
多分銀さんと高杉が喧嘩してて、それを止めに入ったヅラも巻き添えくらって先生からゲンコツを喰らったんでしょうね。つまり連帯責任で3人いつも一緒ということですよね。だから絆なのかなと。
志ものところは、その前のコマが映画で印象的に使われてた夕陽での追っかけっこのやつですよね。先生の背中を教え子達が追っかけてるやつ。
そしてこのコマの3人は同じ方向を向いてるんですよね。多分先生を見てるのでしょうけども・・・まあここはこの頃の3人は同じ方向を向いてると広く解釈したほうがいいでしょうね。
個人的にはここでのヅラの服が現在の着物に羽織というスタイルになってること、表情もどやって感じの現在のヅラぽい感じになってることが印象的でございます。
なんとなくですけども、ヅラは講武館時代は特待生として自分を押し殺してたんでしょうね。お婆をなくしてからは子供じゃいられなくなってたろうし、それが松陽先生と出会い村塾に入ることによって本来の電波な自分を出すことが出来た。素直に感情を出す事(泣いたりすること)が出来るようになったということでしょうかね。
そして憎しみも・・のところ、松陽先生が連行されるシーンが描いてありますわね。高杉に左目の情景なわけだし、連行されたところに高杉もいたということなんでしょうか・・・。
首を囲んでるシーン、今回は違う角度でございますわね。
うなだれてる高杉、背を向ける銀さん。多分桂は銀さんを見てるのかな・・・・。
多分だけど、桂は失った先生よりも斬ってしまった銀さんの心配を心配してたんじゃないでしょうかね。
「(略)
俺達の仇はここにいるぞ
目をそらすな、拳を握れ
先生の、仇を討て
俺達は、自分に刃を突き立てる事はできねェが
自らを斬るよりも安くねェ奴がいる
自らを呪うよりも安くねェ奴がいる
俺にはお前が、お前には俺がいる」
時代劇風でカッケーシーンでございますわね。きっとアニメだと栄えますわね。
多分銀さんも高杉も自分のせいで先生は死んだとずっと罪の意識に悩み続けてるんですよね。
死にたくても先生に護って貰った命だからお互い自殺することが出来ない。
ある意味呪いに近い状態なんですよね。
つまり銀さんは高杉にとっては先生を斬った自分が仇なんだし、俺を斬れということでしょうね。
高杉もずっと銀さんを恨み続けてるけど、それ以上に自分を恨み続けてるんでしょうね。だからその銀さんを憎み切れないというのがハンパだということになるのかな・・・。
多分完結編の「業を背負うのはお前だけじゃなかろう、銀時」という桂の台詞を考えると桂自身もずっと罪の意識に苛まれ続けてると思います。
死んでしまった人はもう戻ってこない、だから死んでしまった人の為に今出来ることをやろうというのが桂なんだと思います。この辺は初登場回でヅラは言ってましたしね。
でも完結編の現状ディストラクションのここに戻ってきてしまうんだなというのを思うと、でも過去に戻ってやり直せる、助けられるチャンスがあるのなら、迷わずそこへ戻るし助けるぞということなんでしょうね。
攘夷戦争末期、攘夷志士の死体の山崖の上から天導衆が見下ろしてます。
「哀れなものだ。国を憂う心を持った若者達が
このような運命を辿ろうとは
これがお前のやりたかった事か
松陽
お前の教え子達は、お前の教え通り、犬死していったぞ」
天導衆の松陽先生に話しかけるお言葉でございますけども、何気に意味深でございますわね。
松陽先生の教えは多分銀魂世界の武士道であり、攘夷なんだろうなとは思ってます。その教えが思わぬ結果を生んだ、もしくは思わぬ方向に暴走ししてしまったみたいな感じでしょうか。
後、天導衆は松陽先生のことを「松陽」と名前で呼んでるんですよね。普通他人なら名字だったりフルネームで呼ぶと思うんですよね。
松陽先生=奈落かなと思ったりもしたけど、奈落って朧だったり骸だったり一文字ですよね。でも松陽先生は2文字。
なんとなく松陽先生は天導衆に近い関係者で、天導衆の一員だった人と妄想してみます。
「お前の弟子達が
お前と共に犬死していく道を選ぶか
それとも、その手で
師を殺めてでも生き残る道を選ぶか
教育者たるお前にふさわしい処刑方法だろう
師か仲間か、どちらでも好きな方を選べ」
ボロボロになり囚われてる先生。そして縛られて押さえつけられてる桂と高杉。そして処刑人としての銀さん・・・。
台詞からして、先生が死ぬのは決定事項。先生と一緒に死ぬか、先生を殺してでも生き残る道を選ぶかということですわね。
先生をすことが出来なければ死ぬことになるけど弟子達は人間としての尊厳を保つことが出来る。
先生を殺してしまえば、生き残ることが出来るけど、罪の意識に苛まれ死より辛い生き地獄が待ってるということですわね。天導衆エグ・・・・。
現在、壮絶な殴り合い。格好良い・・・というより、もうやめて・・・って感じです。
多分本当なら、首を囲ってる時にぶつかり合うべきだったのがお互いがお互い、逃げ続けてた結果今になってようやく向き合うことが出来た、その結果がこれです。
多分気の済むまでぶつかり合えばいいのでしょうけども、気の済むまではおそらくどちらかが死ぬまでだろうし、決着はつかないでしょうね。・・・誰かが止めないと駄目だと思います。
攘夷過去回想を見る限り、ヤクルト回、ボンボンコロコロとかを見る限り、喧嘩を止めてたのは桂でございましたし、今回も同じ痛みを判ってる桂が止めるのが一番なんでしょうね。
・・・・だからいい加減スタンバってないで出てこいよ。3人で仲良くおにぎり握ればいいじゃない。
「ーー銀時、あとのことは頼みましたよ
仲間を、みんなを護ってあげてくださいね」
「ーー銀時、もし俺がおっ死んだら、先生のことを頼む」
「じゃあ俺もろくでなしに頼む
死ぬな」
過去のお言葉が出てきて、銀さんは先生の首を斬りに向かいます。
銀さんは先生との約束を護り、仲間(桂高杉)を護る為に先生を斬りました。
多分高杉は先生を護りたくて、自らを斬って欲しかったのでしょうけども。
一応高杉と銀さんの背中合わせの約束は銀さんは先生を護るのは自分じゃない高杉だということで成立してませんよね。
「ありがとう」
先生は銀さんに向かって悟りきった表情を向けます。それに対し銀さんはなんか物凄く哀しい顔をしてます。
多分先生は死を受け入れてたんでしょうね。そして弟子たちが生き残る道を選んでくれたのが嬉しかったのかな・・・。
先生の命がここで終わったとしても先生の意思を受け継ぐ弟子達が残れば、先生は生き続けることが出来るわけですしね・・・・。
でも銀さん達にとってはそれは呪いに近い生き地獄でもあるんですけどね・・・・。
そして閉じた左目で先生の首が刎ね、右目では銀さんが高杉を斬る描写がされ次号でございます。
多分左目=過去、右目が現実という描写だとは思うんですけども、その前ページの銀時ィィィ!!は逆じゃね?とか思ったのはナイショ。
高杉と銀さんの対決は木刀と真剣だし、高杉が斬られるということはないと思いますし、ここで銀さんが高杉を斬ればまた銀さんに業を背負わなければいけないことになります。
今回の過去編は高杉が何故狂ったのか、闇堕ちしたのかという掘り下げだと思いますし、いい加減この長編を終わらせないといけないし、合併号地獄までこの重苦しい空気やバトルが続くのもどうかと思うので・・・ほらほら早くヅラ出てきてこの重苦しい空気を変えてくれよ!と思ったりもします。
「俺達を止められるのは、もう俺達しかいねェんだよ。
気にくわねェなら
曲げらんねェなら
てめェのゲンコツで止めるしかねェんだァ!!」
とゲンコツで高杉を殴り飛ばします。吹っ飛ぶ高杉。
「・・・高杉、いつまでその潰れた左目で
瞼の裏を見てやがる」
ここのコマでは高杉目線で左に松陽先生(過去)、右に銀さん(現実)ということなんでしょうね。
「その残った右目ひんむいてよく見やがれ
てめェがゲンコツ振るわなきゃいけねェ奴ぁ、今ここにいんだろ!!」
これって、後で判ることだけど銀さんもずっと罪の意識に囚われてたんだろうし、死にたかったのかな・・・と。
まあ死神編があって、朝右衛門ちゃんに出会い、かぶき町に流れ着いて色んな出会いがあって鬼(白夜叉)から人(万事屋)へ変わることが出来たからこそ、今回逃げずに高杉と向き合うことが出来たのかなーと。
それがこの殺し合いまがいの殴り合いなんだろうけども・・・。
「俺は・・俺の閉じたこの左目は
あの頃映した、憧憬も、絆も、志も
そして、憎しみも」
はい、ここの過去シーンでございます。気になるのはそこに描かれてるシーンでございますわね。
絆も・・のところの3人に注目でございます。
傷だらけでボロボロの銀さんと高杉はじとっとお互いを見てる中、ヅラだけは涙目で俯いてますわね。
多分銀さんと高杉が喧嘩してて、それを止めに入ったヅラも巻き添えくらって先生からゲンコツを喰らったんでしょうね。つまり連帯責任で3人いつも一緒ということですよね。だから絆なのかなと。
志ものところは、その前のコマが映画で印象的に使われてた夕陽での追っかけっこのやつですよね。先生の背中を教え子達が追っかけてるやつ。
そしてこのコマの3人は同じ方向を向いてるんですよね。多分先生を見てるのでしょうけども・・・まあここはこの頃の3人は同じ方向を向いてると広く解釈したほうがいいでしょうね。
個人的にはここでのヅラの服が現在の着物に羽織というスタイルになってること、表情もどやって感じの現在のヅラぽい感じになってることが印象的でございます。
なんとなくですけども、ヅラは講武館時代は特待生として自分を押し殺してたんでしょうね。お婆をなくしてからは子供じゃいられなくなってたろうし、それが松陽先生と出会い村塾に入ることによって本来の電波な自分を出すことが出来た。素直に感情を出す事(泣いたりすること)が出来るようになったということでしょうかね。
そして憎しみも・・のところ、松陽先生が連行されるシーンが描いてありますわね。高杉に左目の情景なわけだし、連行されたところに高杉もいたということなんでしょうか・・・。
首を囲んでるシーン、今回は違う角度でございますわね。
うなだれてる高杉、背を向ける銀さん。多分桂は銀さんを見てるのかな・・・・。
多分だけど、桂は失った先生よりも斬ってしまった銀さんの心配を心配してたんじゃないでしょうかね。
「(略)
俺達の仇はここにいるぞ
目をそらすな、拳を握れ
先生の、仇を討て
俺達は、自分に刃を突き立てる事はできねェが
自らを斬るよりも安くねェ奴がいる
自らを呪うよりも安くねェ奴がいる
俺にはお前が、お前には俺がいる」
時代劇風でカッケーシーンでございますわね。きっとアニメだと栄えますわね。
多分銀さんも高杉も自分のせいで先生は死んだとずっと罪の意識に悩み続けてるんですよね。
死にたくても先生に護って貰った命だからお互い自殺することが出来ない。
ある意味呪いに近い状態なんですよね。
つまり銀さんは高杉にとっては先生を斬った自分が仇なんだし、俺を斬れということでしょうね。
高杉もずっと銀さんを恨み続けてるけど、それ以上に自分を恨み続けてるんでしょうね。だからその銀さんを憎み切れないというのがハンパだということになるのかな・・・。
多分完結編の「業を背負うのはお前だけじゃなかろう、銀時」という桂の台詞を考えると桂自身もずっと罪の意識に苛まれ続けてると思います。
死んでしまった人はもう戻ってこない、だから死んでしまった人の為に今出来ることをやろうというのが桂なんだと思います。この辺は初登場回でヅラは言ってましたしね。
でも完結編の現状ディストラクションのここに戻ってきてしまうんだなというのを思うと、でも過去に戻ってやり直せる、助けられるチャンスがあるのなら、迷わずそこへ戻るし助けるぞということなんでしょうね。
攘夷戦争末期、攘夷志士の死体の山崖の上から天導衆が見下ろしてます。
「哀れなものだ。国を憂う心を持った若者達が
このような運命を辿ろうとは
これがお前のやりたかった事か
松陽
お前の教え子達は、お前の教え通り、犬死していったぞ」
天導衆の松陽先生に話しかけるお言葉でございますけども、何気に意味深でございますわね。
松陽先生の教えは多分銀魂世界の武士道であり、攘夷なんだろうなとは思ってます。その教えが思わぬ結果を生んだ、もしくは思わぬ方向に暴走ししてしまったみたいな感じでしょうか。
後、天導衆は松陽先生のことを「松陽」と名前で呼んでるんですよね。普通他人なら名字だったりフルネームで呼ぶと思うんですよね。
松陽先生=奈落かなと思ったりもしたけど、奈落って朧だったり骸だったり一文字ですよね。でも松陽先生は2文字。
なんとなく松陽先生は天導衆に近い関係者で、天導衆の一員だった人と妄想してみます。
「お前の弟子達が
お前と共に犬死していく道を選ぶか
それとも、その手で
師を殺めてでも生き残る道を選ぶか
教育者たるお前にふさわしい処刑方法だろう
師か仲間か、どちらでも好きな方を選べ」
ボロボロになり囚われてる先生。そして縛られて押さえつけられてる桂と高杉。そして処刑人としての銀さん・・・。
台詞からして、先生が死ぬのは決定事項。先生と一緒に死ぬか、先生を殺してでも生き残る道を選ぶかということですわね。
先生をすことが出来なければ死ぬことになるけど弟子達は人間としての尊厳を保つことが出来る。
先生を殺してしまえば、生き残ることが出来るけど、罪の意識に苛まれ死より辛い生き地獄が待ってるということですわね。天導衆エグ・・・・。
現在、壮絶な殴り合い。格好良い・・・というより、もうやめて・・・って感じです。
多分本当なら、首を囲ってる時にぶつかり合うべきだったのがお互いがお互い、逃げ続けてた結果今になってようやく向き合うことが出来た、その結果がこれです。
多分気の済むまでぶつかり合えばいいのでしょうけども、気の済むまではおそらくどちらかが死ぬまでだろうし、決着はつかないでしょうね。・・・誰かが止めないと駄目だと思います。
攘夷過去回想を見る限り、ヤクルト回、ボンボンコロコロとかを見る限り、喧嘩を止めてたのは桂でございましたし、今回も同じ痛みを判ってる桂が止めるのが一番なんでしょうね。
・・・・だからいい加減スタンバってないで出てこいよ。3人で仲良くおにぎり握ればいいじゃない。
「ーー銀時、あとのことは頼みましたよ
仲間を、みんなを護ってあげてくださいね」
「ーー銀時、もし俺がおっ死んだら、先生のことを頼む」
「じゃあ俺もろくでなしに頼む
死ぬな」
過去のお言葉が出てきて、銀さんは先生の首を斬りに向かいます。
銀さんは先生との約束を護り、仲間(桂高杉)を護る為に先生を斬りました。
多分高杉は先生を護りたくて、自らを斬って欲しかったのでしょうけども。
一応高杉と銀さんの背中合わせの約束は銀さんは先生を護るのは自分じゃない高杉だということで成立してませんよね。
「ありがとう」
先生は銀さんに向かって悟りきった表情を向けます。それに対し銀さんはなんか物凄く哀しい顔をしてます。
多分先生は死を受け入れてたんでしょうね。そして弟子たちが生き残る道を選んでくれたのが嬉しかったのかな・・・。
先生の命がここで終わったとしても先生の意思を受け継ぐ弟子達が残れば、先生は生き続けることが出来るわけですしね・・・・。
でも銀さん達にとってはそれは呪いに近い生き地獄でもあるんですけどね・・・・。
そして閉じた左目で先生の首が刎ね、右目では銀さんが高杉を斬る描写がされ次号でございます。
多分左目=過去、右目が現実という描写だとは思うんですけども、その前ページの銀時ィィィ!!は逆じゃね?とか思ったのはナイショ。
高杉と銀さんの対決は木刀と真剣だし、高杉が斬られるということはないと思いますし、ここで銀さんが高杉を斬ればまた銀さんに業を背負わなければいけないことになります。
今回の過去編は高杉が何故狂ったのか、闇堕ちしたのかという掘り下げだと思いますし、いい加減この長編を終わらせないといけないし、合併号地獄までこの重苦しい空気やバトルが続くのもどうかと思うので・・・ほらほら早くヅラ出てきてこの重苦しい空気を変えてくれよ!と思ったりもします。
2014-11-23 00:56
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